September 15, 2008

原付バイクで琵琶湖を一周

前回は志半ばで挫折してしまった
原付での琵琶湖一周に再トライした。

午前九時くらいに京都を発ち、夜の8時に帰還した。

街から街へ琵琶湖の周りの道路を行く。
それはイージーライダー、ミニスケール版。

かなりのご老体のバイクと長距離走行の経験値が少ないライダー
だけど、無事に達成することができた。

今回は琵琶湖を一周することが主目的だったから、
ひとつの場所に腰を据えた観光はしなかった。
しかし、道中幾度となく寄り道した。

琵琶湖の外周に点在している道の駅、農作物販売所などで
栄養補給したり、お土産を購入したりした。
子鮎の天ぷらは非常に美味だった。

また心のアンテナにピンと来た場所でポラロイド写真を撮ったりした。
その中で最も印象的だった風景は高島市マキノ町にある唐崎神社だ。

バイクを走らせていると、
神社を高く取り囲んだ木々の上空に無数の鳶が旋回している光景を目に写った。
そこに神々しい何かを感じた。強く引きつけられた。

それがきっかけで神社で休むことにした。
ちょうどそこでお月見の集いの準備をされていた地元の方とひょんなことからお話をする。
そこで、鳶のことを聞いてみた。
鳶たちはこの時期、川を遡上する鮎を食すためにこの地にやってきたらしい。
白鷺も別の場所で待機しているようだ。
遡上の現場である神社から程近い知内川の場所を教えてもらい、そこに向かう。

川に着き、橋から川面を凝視する。
すると、そこにはおびただしい小魚が川を遡っている光景があった。
おそらく産卵後であろう力尽きた魚は水面を力なく流されていた。
周りの稲刈りが終わった田畑では白鷺が羽を休めていた。

そこでは言葉は意味を失い、ただその景色に釘付けになった。
そこで感じたことは言葉で言えない。

これは一生モノの記憶になったと思う。
そして、人生の中でこういう記憶こそが大事なんだとも思う。

送信者 goodluckcharm

August 27, 2008

スキマ産業で歌の凄みを知る

生演奏と言うのは基本ノーカットだから。

録音の過程で失われる成分を
余すところなく浴びることができる。

音楽が生まれる瞬間をこの目玉が見る。
音楽に乗って流れる思念は耳だけでなく全ての感覚に流れ込んでくる。

ライブでしか体験できないことはあると思う。
それは何だと聴かれたら、口をつぐんでしまうけれど。



今回も素晴らしい音楽が揃っていた。
独自性のある作り手のこだわりを感じさせる音。

その中でもタテタカコさんの演奏は僕にとって格別だった。
余りの衝撃にそのほとんどの記憶は薄れてしまっているけれども。
その音楽に圧倒された感覚は鮮明に残っている。

ピアノと歌による単独演奏。
この客観的事実を並べて見ると、演奏される音楽はシンプルで
「さわやか」とか「はかない」とか弱くて静かなイメージを喚起されることが多いのではないだろうか?
たとえ激しい弾き語りだとしても、たった一人では限度というものがあると思うのではないだろうか?
しかし、タテタカコさんの音楽はそんな生易しい代物ではなかった。

その「歌とピアノだけ」の音楽の立ち上がりは穏やかに感じる。
しかし演奏者の感情の高揚とともに、音楽は勢力を増していく。どこまでも。
そのピークは常軌を逸しており、
相当量のエネルギーを放出しているように感じられた。

それは勢力の強い暴風の只中にいるような感覚だった。
実際に物理的な力が加えられたわけではないのに、抗い難い力の存在を感じる。

荒れ狂う感情の暴風が脳みそを通過していく。
演奏中は体内の全細胞が演奏者に釘付けになり、
他のことを考える余力は完全にゼロになる。

演奏後は全ての感情は吹き飛ばされている。
嵐が去った後のような静寂感が心に残っている。
「言葉を失う」という慣用句を真の実感を持って理解した。

弾き語りスタイルだとかバンド形態だとか、音楽のフォーマットだけでは
表現の根源となるエネルギーの大きさを推し量ることはできないのだと思った。

そして、それはCD音源だけでは知ることができなかったことでもあった。

音をどれだけ歪ませて、高出力のアンプを駆使して楽器をかき鳴らしても、
力強い汚い言葉を吐いても、ダイブしても、楽器を破壊しても、聴衆の頭で楽器でかちわっても
あれだけの迫力を聴衆に感じさせるのは簡単なことではないのではと思う。


演奏後しばらくは失語症のような症状に陥り、うまく思考ができなくなってしまった。
自分の心のどこかが組み変えられていく感覚があった。

そのすさまじい音楽によって喜びを感じることは多々あった。
しかし、正直に書くと心のある部分は傷つけられてしまったように思う。
善なる感情だけを感じたわけではなかったからだ。
でも、表現とは本来そういうものだと思う。
表現者の真の想いを正直に手加減なく誰かにぶつけるのだから、
それによって相手が傷つくこともあると思う。

とてもとても素晴らしい演奏だった。
こんなことが起こるとは予想していなかった。
また、生演奏を聴く機会に恵まれることを心から願っている。

August 10, 2008

原付バイクでドライブ

天気が良かったので、原付バイクで遠出した。

道程は(1)大原(2)琵琶湖大橋(3)近江八幡(4)大津。
唯一の目的は琵琶湖沿いを走ることで、
その他は出たとこ勝負でコースを決めた。

バイクでの移動は独自性がある。
太陽と風と音を肌で感じることができる。
この景色との一体感は自動車には余りない。

自転車より景色の流れが速いので、
細部を注視することはできないが、
少ない時間で遠くまで行ける。

文章にすると当たり前だけど、
このようなバイク移動の良さを再認識した。

僕は花より団子派なので道中で様々な食物を入手した。
食べ物を通じてその土地を知る。

大原で冷やしきゅうり、卵フライ、地卵、トマトジュース、紫蘇ジュース。
近江八幡でこんにゃく、湖魚の佃煮、羊羹。
草津の道の駅では、前に行ったことがある、
出町柳の移動式メキシコ屋台店chilly waterさんがたまたま遠征中だった。
アボガドとサルサのブリトーを食べる。
遠隔地での偶然の出会い。偶然による店主との会話。
偶然はおもしろい。

琵琶湖はやはり広大だった。いつか一周したい。
近江八幡地方の見渡す限り一面の田園風景の緑色は美しかった。
胸に迫るものがあった。
琵琶湖大橋近くの打ち捨てられた巨大観覧車が放つ、廃墟的オーラに心引かれた。

バイクでの移動なのでひとつの場所に腰を据えることはない。
ただ通り過ぎるだけだ。でも通り過ぎた各々の景色はひとつのシーケンスになった。
まさにこれはアナログ的移動だ。
一方、特急列車や飛行機はワープみたいなもので、離散的な移動だ。

バイクでの移動もいいものだ。

冬になって原付バイクの移動が身体的につらくなるまで、
色々な場所に行きたいと思った。

August 04, 2008

西院ミュージックフェスティバル

今年も西院ミュージックフェスティバルに行ってきた。
僕にとっての夏の風物詩。
2日間の昼夜、音楽に浸ってきた。

日光を浴びるように音楽を浴びてきた。

夏の音楽フェスと言えば、音楽を聴く強い意思を持った多数の人が広大な会場に集う。

しかし、それらのフェスと対比させると西院フェスは異質な存在だ。
地域密着型の音楽フェスティバル。

普段使いするお店、通り過ぎる場所
カフェ、バー、居酒屋、銭湯、電車内、神社などの
日常的空間が音楽空間に変貌する。

音楽がさりげなく違和感なく街の風景に溶け込んでいる。

イベントの形態だけでなく、その内容も素晴らしいものがあった。
企画運営者は素晴らしい空間を作った。出演者は美味な音楽を作った。
我々はそれをおいしくいただいた。

とてもピースフルで気持ちのよい時間が流れて、
お酒もおいしくて夢心地になった。

同じ町に住んでいるが普段ならただすれ違うだけの人と
音楽を媒介に温かな会話をすることができた。

今年は格段においしい音楽だった。
ごちそうさまという言葉がちょうどいい。

July 13, 2008

スキマ産業

スキマ産業。

今回は踊りに適した音楽演奏会であった。
ゆえに酩酊して踊りながら音楽を聴き狂った。

まずアルコールを注入し、その麻酔作用で
あれこれうるさい理性に眠ってもらった。これで下準備は完了。
考えるという行為を放棄し本能的に音楽を貪り喰らった。

それはまさにリズムに操られた傀儡。
客観的に見たらさぞかし面妖な動作だっただろう。
しかし、それはその場にふさわしい行為のような気がした。

そんな状態だったため、各バンドのパフォーマンスの細部は
記憶からこぼれ落ちている。
しかし、非常に興奮的な楽しい夜になった。

近年稀に見るボルテージの高まりを感じた。
ちなみに最高点はウーネリーズのお兄さんがラッパを吹いた瞬間である。
あれは呪術的だった。

今回は実にフィジカルな音楽会であった。
へろへろ状態で家路につき、泥のように眠った。

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僕は日常的に和食を好んで食べている。
しかし、たまに外で海外の料理を食べたりもする。
和食とは全く違う考えで作られた料理が非常に美味しかったりする。

しかし、それによって、食習慣のベースが不動の和食から劇的に切り替わることはない。

だが、意識は少しだけど変わる。
和食以外にも世界にはおいしい料理がある。また今度食べたいと。
そして、とても気に入ったらたまに家で食べたりもする。

僕にとって音楽は食事に近いものである。
だからそれと同じ図式がそのまま僕の音楽ライフにも当てはまる。
和食=日常的に聴いている音楽。
世界の料理=未聴の領域にある音楽。

だから、未聴の領域にある音楽を聴くことは意義がある。
しかし、
(1)未聴の領域にある音楽のライブを聴きにいくには精神的な敷居が高い。
(2)未聴の領域にある音楽をは初めてなので良し悪しがわからない。
  その音楽を理解している信頼できる人物からの推薦が欲しい。
  できれば真摯に音楽を作っている人を紹介して欲しい。

スキマ産業はこれらの条件を満たしてくれるイベントである。

July 08, 2008

酩酊日記

日曜日。

いつも刺激的な音楽、音楽のイベントを届けてくれる
音楽を接点に出会った人とランチを食す。トークをする。
いと楽し。

クラスの同級生とか会社の同期は大切な仲間。
同じ組織に属したからこそ会えた人たち。
長大な時間を過ごした、過ごしていく。
大切な存在。かけがえのない関係。それは深い関係。

しかし、たまにしか会うことはない、今まで話した時間はごくごく短い人。
点と点で接する人。
しかし強く接続されている関係。
ある意味必然性のある関係。

例えば、それは趣味で出会った人。
自分の価値観が結びつけた関係。

僕の場合、音楽関係。古着関係。

不思議な関係。
しかしそういう関係も大事だ。
全く性質が違うのだ。

その日は音楽の話。UFOの話!!
普段したくてもできなくて、したかった種類のトーク。楽しかった。

自分以外の人間は自分ではない。
当たり前のことだけど認識できていなかったこと。
色んな過去を持った色んな人間がいてさ。
世界は複雑だ。



月曜日は私の誕生日。
会社では月例の誕生会が開催される。

2次会にも参加。
酒気帯び。泥酔コース。

酒飲み本性違わず。
酒は自己を開放してくれる。まさにドラッグだ。
その代償は大きいけど。

酒の手助けがなければ自己解放できない自分はイカン。
しかし泥酔して聴く音楽は格別だ。

ああ、もう27歳かいな。
まだまだ、精神年齢は低い。
しかし、人は急には変われない。

June 24, 2008

友人の結婚式のための東京旅行

6/20から6/22にかけて、東京に行ってきた。

主な目的は大学時代の友人の結婚式。

結婚式のために大学時代の友人たちが集う。
多くの友人とは大学卒業後の初再会がこの結婚式であった。
2年ぶりの再会。


でも関係は変わらずというか、場に流れる空気は当時のままであった。
共通話題、共通ユーモアを持つ者どおしが交わす会話。
2年ぶりでいつもの会話。
2年間、交流が断絶していたけど変わらずに残ってくれていてうれしい。

新郎新婦の幸せそうな姿を眺めながら、
「あいつも結婚かあ」としみじみ思いながら
時間は確実に流れているのだということを、
もう絶対に当時には戻れないことを同時に実感した。

そして、自分はいったいどこに行こうとしているのか、
自分の方向感覚の希薄さに想いを馳せた。
私の人生においてコンパスはまだない。
ゆるい幸せが続くこの日常でどのような変化が待っているのか。


結婚式とはかなりの高確率で感動する。
そこには素晴らしい世界が展開されているからだ。
この複雑な世の中の最高にきれいな側面だと思う。

友人のスピーチ、親への手紙、形式としては月並みなお決まりのパターン。
でもその内容によって心が感動で満たされる。

2次会には参加できずで、後ろ髪引かれつつ京都に戻った。
結婚式の感動とみんなとのお別れの寂しさを心に抱いて戻った。

末永く幸せに暮らして欲しいと思った。