September 15, 2008

原付バイクで琵琶湖を一周

前回は志半ばで挫折してしまった
原付での琵琶湖一周に再トライした。

午前九時くらいに京都を発ち、夜の8時に帰還した。

街から街へ琵琶湖の周りの道路を行く。
それはイージーライダー、ミニスケール版。

かなりのご老体のバイクと長距離走行の経験値が少ないライダー
だけど、無事に達成することができた。

今回は琵琶湖を一周することが主目的だったから、
ひとつの場所に腰を据えた観光はしなかった。
しかし、道中幾度となく寄り道した。

琵琶湖の外周に点在している道の駅、農作物販売所などで
栄養補給したり、お土産を購入したりした。
子鮎の天ぷらは非常に美味だった。

また心のアンテナにピンと来た場所でポラロイド写真を撮ったりした。
その中で最も印象的だった風景は高島市マキノ町にある唐崎神社だ。

バイクを走らせていると、
神社を高く取り囲んだ木々の上空に無数の鳶が旋回している光景を目に写った。
そこに神々しい何かを感じた。強く引きつけられた。

それがきっかけで神社で休むことにした。
ちょうどそこでお月見の集いの準備をされていた地元の方とひょんなことからお話をする。
そこで、鳶のことを聞いてみた。
鳶たちはこの時期、川を遡上する鮎を食すためにこの地にやってきたらしい。
白鷺も別の場所で待機しているようだ。
遡上の現場である神社から程近い知内川の場所を教えてもらい、そこに向かう。

川に着き、橋から川面を凝視する。
すると、そこにはおびただしい小魚が川を遡っている光景があった。
おそらく産卵後であろう力尽きた魚は水面を力なく流されていた。
周りの稲刈りが終わった田畑では白鷺が羽を休めていた。

そこでは言葉は意味を失い、ただその景色に釘付けになった。
そこで感じたことは言葉で言えない。

これは一生モノの記憶になったと思う。
そして、人生の中でこういう記憶こそが大事なんだとも思う。

送信者 goodluckcharm

August 27, 2008

スキマ産業で歌の凄みを知る

生演奏と言うのは基本ノーカットだから。

録音の過程で失われる成分を
余すところなく浴びることができる。

音楽が生まれる瞬間をこの目玉が見る。
音楽に乗って流れる思念は耳だけでなく全ての感覚に流れ込んでくる。

ライブでしか体験できないことはあると思う。
それは何だと聴かれたら、口をつぐんでしまうけれど。



今回も素晴らしい音楽が揃っていた。
独自性のある作り手のこだわりを感じさせる音。

その中でもタテタカコさんの演奏は僕にとって格別だった。
余りの衝撃にそのほとんどの記憶は薄れてしまっているけれども。
その音楽に圧倒された感覚は鮮明に残っている。

ピアノと歌による単独演奏。
この客観的事実を並べて見ると、演奏される音楽はシンプルで
「さわやか」とか「はかない」とか弱くて静かなイメージを喚起されることが多いのではないだろうか?
たとえ激しい弾き語りだとしても、たった一人では限度というものがあると思うのではないだろうか?
しかし、タテタカコさんの音楽はそんな生易しい代物ではなかった。

その「歌とピアノだけ」の音楽の立ち上がりは穏やかに感じる。
しかし演奏者の感情の高揚とともに、音楽は勢力を増していく。どこまでも。
そのピークは常軌を逸しており、
相当量のエネルギーを放出しているように感じられた。

それは勢力の強い暴風の只中にいるような感覚だった。
実際に物理的な力が加えられたわけではないのに、抗い難い力の存在を感じる。

荒れ狂う感情の暴風が脳みそを通過していく。
演奏中は体内の全細胞が演奏者に釘付けになり、
他のことを考える余力は完全にゼロになる。

演奏後は全ての感情は吹き飛ばされている。
嵐が去った後のような静寂感が心に残っている。
「言葉を失う」という慣用句を真の実感を持って理解した。

弾き語りスタイルだとかバンド形態だとか、音楽のフォーマットだけでは
表現の根源となるエネルギーの大きさを推し量ることはできないのだと思った。

そして、それはCD音源だけでは知ることができなかったことでもあった。

音をどれだけ歪ませて、高出力のアンプを駆使して楽器をかき鳴らしても、
力強い汚い言葉を吐いても、ダイブしても、楽器を破壊しても、聴衆の頭で楽器でかちわっても
あれだけの迫力を聴衆に感じさせるのは簡単なことではないのではと思う。


演奏後しばらくは失語症のような症状に陥り、うまく思考ができなくなってしまった。
自分の心のどこかが組み変えられていく感覚があった。

そのすさまじい音楽によって喜びを感じることは多々あった。
しかし、正直に書くと心のある部分は傷つけられてしまったように思う。
善なる感情だけを感じたわけではなかったからだ。
でも、表現とは本来そういうものだと思う。
表現者の真の想いを正直に手加減なく誰かにぶつけるのだから、
それによって相手が傷つくこともあると思う。

とてもとても素晴らしい演奏だった。
こんなことが起こるとは予想していなかった。
また、生演奏を聴く機会に恵まれることを心から願っている。

August 10, 2008

原付バイクでドライブ

天気が良かったので、原付バイクで遠出した。

道程は(1)大原(2)琵琶湖大橋(3)近江八幡(4)大津。
唯一の目的は琵琶湖沿いを走ることで、
その他は出たとこ勝負でコースを決めた。

バイクでの移動は独自性がある。
太陽と風と音を肌で感じることができる。
この景色との一体感は自動車には余りない。

自転車より景色の流れが速いので、
細部を注視することはできないが、
少ない時間で遠くまで行ける。

文章にすると当たり前だけど、
このようなバイク移動の良さを再認識した。

僕は花より団子派なので道中で様々な食物を入手した。
食べ物を通じてその土地を知る。

大原で冷やしきゅうり、卵フライ、地卵、トマトジュース、紫蘇ジュース。
近江八幡でこんにゃく、湖魚の佃煮、羊羹。
草津の道の駅では、前に行ったことがある、
出町柳の移動式メキシコ屋台店chilly waterさんがたまたま遠征中だった。
アボガドとサルサのブリトーを食べる。
遠隔地での偶然の出会い。偶然による店主との会話。
偶然はおもしろい。

琵琶湖はやはり広大だった。いつか一周したい。
近江八幡地方の見渡す限り一面の田園風景の緑色は美しかった。
胸に迫るものがあった。
琵琶湖大橋近くの打ち捨てられた巨大観覧車が放つ、廃墟的オーラに心引かれた。

バイクでの移動なのでひとつの場所に腰を据えることはない。
ただ通り過ぎるだけだ。でも通り過ぎた各々の景色はひとつのシーケンスになった。
まさにこれはアナログ的移動だ。
一方、特急列車や飛行機はワープみたいなもので、離散的な移動だ。

バイクでの移動もいいものだ。

冬になって原付バイクの移動が身体的につらくなるまで、
色々な場所に行きたいと思った。

August 04, 2008

西院ミュージックフェスティバル

今年も西院ミュージックフェスティバルに行ってきた。
僕にとっての夏の風物詩。
2日間の昼夜、音楽に浸ってきた。

日光を浴びるように音楽を浴びてきた。

夏の音楽フェスと言えば、音楽を聴く強い意思を持った多数の人が広大な会場に集う。

しかし、それらのフェスと対比させると西院フェスは異質な存在だ。
地域密着型の音楽フェスティバル。

普段使いするお店、通り過ぎる場所
カフェ、バー、居酒屋、銭湯、電車内、神社などの
日常的空間が音楽空間に変貌する。

音楽がさりげなく違和感なく街の風景に溶け込んでいる。

イベントの形態だけでなく、その内容も素晴らしいものがあった。
企画運営者は素晴らしい空間を作った。出演者は美味な音楽を作った。
我々はそれをおいしくいただいた。

とてもピースフルで気持ちのよい時間が流れて、
お酒もおいしくて夢心地になった。

同じ町に住んでいるが普段ならただすれ違うだけの人と
音楽を媒介に温かな会話をすることができた。

今年は格段においしい音楽だった。
ごちそうさまという言葉がちょうどいい。

July 13, 2008

スキマ産業

スキマ産業。

今回は踊りに適した音楽演奏会であった。
ゆえに酩酊して踊りながら音楽を聴き狂った。

まずアルコールを注入し、その麻酔作用で
あれこれうるさい理性に眠ってもらった。これで下準備は完了。
考えるという行為を放棄し本能的に音楽を貪り喰らった。

それはまさにリズムに操られた傀儡。
客観的に見たらさぞかし面妖な動作だっただろう。
しかし、それはその場にふさわしい行為のような気がした。

そんな状態だったため、各バンドのパフォーマンスの細部は
記憶からこぼれ落ちている。
しかし、非常に興奮的な楽しい夜になった。

近年稀に見るボルテージの高まりを感じた。
ちなみに最高点はウーネリーズのお兄さんがラッパを吹いた瞬間である。
あれは呪術的だった。

今回は実にフィジカルな音楽会であった。
へろへろ状態で家路につき、泥のように眠った。

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僕は日常的に和食を好んで食べている。
しかし、たまに外で海外の料理を食べたりもする。
和食とは全く違う考えで作られた料理が非常に美味しかったりする。

しかし、それによって、食習慣のベースが不動の和食から劇的に切り替わることはない。

だが、意識は少しだけど変わる。
和食以外にも世界にはおいしい料理がある。また今度食べたいと。
そして、とても気に入ったらたまに家で食べたりもする。

僕にとって音楽は食事に近いものである。
だからそれと同じ図式がそのまま僕の音楽ライフにも当てはまる。
和食=日常的に聴いている音楽。
世界の料理=未聴の領域にある音楽。

だから、未聴の領域にある音楽を聴くことは意義がある。
しかし、
(1)未聴の領域にある音楽のライブを聴きにいくには精神的な敷居が高い。
(2)未聴の領域にある音楽をは初めてなので良し悪しがわからない。
  その音楽を理解している信頼できる人物からの推薦が欲しい。
  できれば真摯に音楽を作っている人を紹介して欲しい。

スキマ産業はこれらの条件を満たしてくれるイベントである。

July 08, 2008

酩酊日記

日曜日。

いつも刺激的な音楽、音楽のイベントを届けてくれる
音楽を接点に出会った人とランチを食す。トークをする。
いと楽し。

クラスの同級生とか会社の同期は大切な仲間。
同じ組織に属したからこそ会えた人たち。
長大な時間を過ごした、過ごしていく。
大切な存在。かけがえのない関係。それは深い関係。

しかし、たまにしか会うことはない、今まで話した時間はごくごく短い人。
点と点で接する人。
しかし強く接続されている関係。
ある意味必然性のある関係。

例えば、それは趣味で出会った人。
自分の価値観が結びつけた関係。

僕の場合、音楽関係。古着関係。

不思議な関係。
しかしそういう関係も大事だ。
全く性質が違うのだ。

その日は音楽の話。UFOの話!!
普段したくてもできなくて、したかった種類のトーク。楽しかった。

自分以外の人間は自分ではない。
当たり前のことだけど認識できていなかったこと。
色んな過去を持った色んな人間がいてさ。
世界は複雑だ。



月曜日は私の誕生日。
会社では月例の誕生会が開催される。

2次会にも参加。
酒気帯び。泥酔コース。

酒飲み本性違わず。
酒は自己を開放してくれる。まさにドラッグだ。
その代償は大きいけど。

酒の手助けがなければ自己解放できない自分はイカン。
しかし泥酔して聴く音楽は格別だ。

ああ、もう27歳かいな。
まだまだ、精神年齢は低い。
しかし、人は急には変われない。

June 24, 2008

友人の結婚式のための東京旅行

6/20から6/22にかけて、東京に行ってきた。

主な目的は大学時代の友人の結婚式。

結婚式のために大学時代の友人たちが集う。
多くの友人とは大学卒業後の初再会がこの結婚式であった。
2年ぶりの再会。


でも関係は変わらずというか、場に流れる空気は当時のままであった。
共通話題、共通ユーモアを持つ者どおしが交わす会話。
2年ぶりでいつもの会話。
2年間、交流が断絶していたけど変わらずに残ってくれていてうれしい。

新郎新婦の幸せそうな姿を眺めながら、
「あいつも結婚かあ」としみじみ思いながら
時間は確実に流れているのだということを、
もう絶対に当時には戻れないことを同時に実感した。

そして、自分はいったいどこに行こうとしているのか、
自分の方向感覚の希薄さに想いを馳せた。
私の人生においてコンパスはまだない。
ゆるい幸せが続くこの日常でどのような変化が待っているのか。


結婚式とはかなりの高確率で感動する。
そこには素晴らしい世界が展開されているからだ。
この複雑な世の中の最高にきれいな側面だと思う。

友人のスピーチ、親への手紙、形式としては月並みなお決まりのパターン。
でもその内容によって心が感動で満たされる。

2次会には参加できずで、後ろ髪引かれつつ京都に戻った。
結婚式の感動とみんなとのお別れの寂しさを心に抱いて戻った。

末永く幸せに暮らして欲しいと思った。

May 22, 2008

スキマ産業vol.12元アラブストラップ マルコム・ミドルトン来京

遅ればせながらライブの記録。
不完全だけどこのままローカルで朽ちていくのは
なんだか精神衛生上よろしくないので放出。


2008年5月20日(火)@木屋町UrBANGUILD
キツネの嫁入りpresents
スキマ産業vol.12~元アラブストラップ マルコム・ミドルトン来京~

出演
マルコムミドルトン(Malcolm Middleton)
キツネの嫁入り
ヒラノミドリ
deadphones

またまた、音楽に身を投じてきた。
恒例のスキマ産業。

僕にとってのスキマ産業はこれで4回目となる。

○ヒラノミドリ さんのステージ。

残念ながら途中からしか見れず。

声とピアノがループされる。
丹念に丹念に音が重ねられていき、
反復の度に音は色を少しずつ変えていく。

1人でゼロから音景色を作り上げてく過程。
こういう生演奏もあるのか。

おいしい音楽でした。


○キツネの嫁入りさんのステージ

バンドは人間の集まり。
人は変化していく存在。
だからそのステージも変化していく。

今回は、ドラムと木琴が導入されていた。
大いなる予感に満ちたステージ。
これから洗練されていく過程が楽しみ。

僕が思うこのキツネの嫁入りの音楽の好きなところ。
音のバランスのとれた配置が好き。
彼らの音楽を凝視ではなく俯瞰して聴く。
全体像を楽しむ。


スキマ産業、次回、次々回も楽しみだ。

May 18, 2008

Rachael Dadd + Naoto Kawate [Bird's Nest Tour 2008]

5月16日(金)大阪・martha w/ POPO
5月17日(土)京都・UrBANGUILD w/ Fake fur underground, Water Fai

二夜連続で音楽に身を投じてきた。

彼らの音楽とは3月の京都yugueのライブで出会った。
マイクもアンプも一切使わない完全生音の演奏だった。
彼らの音楽性の地に触れた気がした。
あの空気はちょっと忘れらない。
時折あの夜に帰りたいとさえ思う。

特にRachael Daddの音楽は衝撃だった。
その場で音源を3枚入手し、これまで彼女の音楽を常用してきた。

英ブリストルから日本にやってきて、長期滞在している彼女は
活動の場を一時的に日本に移している。

また、彼女は音楽だけでなく刺繍、版画も表現手段としている。
敦賀のpinon pinonで開催中の彼女の個展にも足を運んだ。
音楽作品と同様に刺繍、版画作品も素晴らしいと思った。
生まれて初めて絵を購入した。

そして、彼らの2回目のツアーが始まった。

演奏の場において、音楽家から発信された音楽を
オーディエンスは自身のアンテナでキャッチする。
初対面の音楽の場合、周波数を合わせるのに時間を要したり、困難だったりする。
しかし、2度目からはその周波数の調整は容易に行えるものだ。
それゆえ、また違った楽しみ方ができた。

川手さんの音楽。
Rachaelさんの音楽。

テレビからはあまり流れてはこないだろうけど、私の好きな音楽だった。
普段何気なく使っている「心が洗われる」という慣用句を本当の意味で体験した。
本当に脳が洗浄される感覚があった。
(前に見たウーネリーズのライブでは「リズムに乗る」という慣用句を真に理解した。
うごめく何かに乗っている感覚が本当にあった。)

社交性に欠ける僕だけど、ライブ後に出演者とがんばって話してみた。
ライブに行くこと、音源を買うという行為自体が彼らの音楽を支持している
何よりの意思表示になる。
だけど、特別な演奏に対しては一言でいいから直接伝えたいと
最近考えるようになった。

しかし、Rachaelさんに対しては英会話の問題がある。
でも何とかなった。

細かな気持ちは説明できないので、
言葉になる前の感情の塊を、
直接伝えることに主眼を置いた。

あと、絵を描いてもらったり、
バンジョーの手解きを受けたり、
身振り手振りの言葉以外の手段を駆使した。

最後に絵をくれた。これは本当にうれしかった。

言葉のやり取りは破綻していたけど、
感情のやり取りは成立していたので、きっと肝心な部分は伝わったと思う。
こちらに本当に伝えたいという気持ちがあって、向うが扉を開いてくれていれば、
たどたどしいけど大事な部分は伝わるんだと思った。

同じ言語を話し、同じ世代の人でも、全く心が通じない人はいるものだ。
こちらの伝えたい気持ちがむなしく宙を舞う。
大学の時はそれを何度も経験した。
言語の問題ではないと思う。文化の違いが問題なのだと思う。

また、言葉によるコミュニケーションにおいては
観念を言葉に変換する時に、絶対変換ロスが発生するので、
完璧なものではないと思う。
様々な感情に完全対応する言葉が常に使えるわけではない。
これは、芸術的感動など主観的なことを伝える時に顕著であると思う。
実在するかは不明だが観念を直接やり取りするテレパシーが
コミュニケーション手段の究極なんだろうと思う。

話は戻って、ライブ後に好きでよく利用するお店の方、
興味があったが今まではただ品物と代金を交換するだけの関係だった人たちと
彼らの音楽をきっかけに少しだけ会話ができた。
これはうれしい副産物だった。

また、うれしいことに、9月に再来日、そして再度の長期滞在を予定しているとのこと。
また、演奏を聴くことができる。
これは極めて幸運なことだ。
好きな海外ミュージシャンの生演奏を一生の中で1回だけでも
聴くことができたら、それは幸せなことだと思うからだ。

March 08, 2008

3/7 PLUM BLOSSOMS TOUR @京都Yugue

PLUM BLOSSOMS TOUR @京都Yugue

Act:
Rachael Dadd
川手直人
吉田省念

3/7は午後半休を取得し、心待ちにしていたライブに赴く。
自転車で下鴨神社界隈を散策。
やっぱり京都市左京区はいいなあとしみじみ感じながら、
平日の午後をほっこり過ごすことのできる幸せを味わう。

会場はYugueという素晴らしいcafeの2階にある畳敷きの部屋。
友達の家に遊びにきた感覚を味わう。
ライブは全てアコースティック楽器による演奏、
マイクも使わない完全なアンプラグドであった。

このようなライブは初体験。
音の響き方が全く異なる。
電気を通さない音楽こそが本来の音楽なのかなあとふと思った。

会場の空間と流れる音楽は気持ちよく調和しており、
そこにはゆるゆるでピースフルな雰囲気が漂っていた。

どのミュージシャンも素敵な演奏だった。

特にRachal Daddが最高だった。

歌は英語で歌われている。
僕は英語能力に乏しいので歌詞は理解できない。
でも歌が体を通り抜ける度に感情を揺さぶられる。

音楽によって想いが直接伝わったような気がする。
こういうとき言語は想いを伝えるための手段であり、便宜的なものだと
つくづく思う。

彼女のライブの幸せな余韻は今も続いている。
出会えたことに感謝である。
初めて音楽を好きになった気持ちを思い出した。
この年になって大好きな事柄の初心の再体験ができるなんて。

February 24, 2008

飛騨高山旅行

会社の同期たちと通算4回目となる旅行に行ってきました。
目的地は飛騨高山。
通例どおりバスを一台貸し切って、移動時間も楽しい旅行に。

高山は食べ物、お酒、歴史、町並み、など観光の諸要素の全てが
ハイクオリティで観光には最適な場所でした。
特筆すべきは日本酒と食べ物(飛騨牛など)が非常に美味であること。
様々な名産を食べましたが何を食べても何を飲んでも全て美味しかった。

したがって旅行中は終始暴飲暴食してました。
日本酒の種類が多く、そのどれもがうまいので、
朝から飲んで昼も飲んで夜も飲んでました。
欲望の要求に忠実に応えて生を実感してました。
食べ物がうまいことは生きる喜びです。

食べ物を通してその土地を知る。
旅行の記憶はその地での食事が核になっている。
きっとそれが僕の旅行感です。今回それに気づきました。

1日目
・高山市街散策
酒蔵、食べ歩き、
・お寺で座禅:
 煩悩にまみれたギトギトの心で座禅に臨む。
・飛騨の里で「さるぼぼ」の手作り体験
・ホテルで高山の名産で構成された素晴らしい料理フルコース
・温泉でほっこり

2日目
・高山名物の朝一
低音殺菌のホットミルク、もち、漬物、地元の人と触れ合う。
・高山市街散策again
酒蔵巡り(計6つくらい)、食べ歩き、高山ラーメンで欲にまみれる。
日本酒がうまい。
・帰りのバスで酒盛り延長戦

February 22, 2008

経済活動と人生幸福と環境保全の相反性

ポラロイドカメラの終焉。
ポラロイド社のデジタル機器業界への参入。

理性ではわかっちゃいるが、情緒では納得できない。
デジカメなんて掃いて捨てる程あるというのに、
ポラロイドという魅力的で素敵な個性が失われてしまう現実。

しかし、資本主義的にはポラロイドカメラ事業は間違った選択なんだろう。

ビジネスと人間の心の折り合いをつけるのって難しいことがある。
会社の目的は利潤追求、でも人生の目的(と地球環境保全)は必ずしも一致しない。
お金志向の人もいるけど、少なくとも僕は絶対に違う。

効率化とコスト削減の結果、少しの時間や少しのお金を節約してなんになるんだろう?
少し節約したから、少し豊かになったからって、その分心が貧しくなることもきっとある。

会社の業績は増収増益が求められる。なぜ横ばいではいけないのだ?赤字でないのに?
経済成長はなぜ現状維持ではいけないのだろう?
これだけの密度のコンビニは必要なのか?
Windowsの性能はXPで十分。Vistaを使ってみたけど魅力を感じない。
会社人になってから経済活動へのクエスチョンマークが増殖する。

僕は納得はできなくても、これらはみんなが暮らしていく上でこれらは必要なことなんだ。
多様な価値観の中で僕らは生きているのだから。


最近、オランダのライフスタイルを特集している旅雑誌「Spectater」を読んだ。
素晴らしい内容だった。違った考え方を注入できた。

オランダではひとりの働く時間と賃金を減らして雇用人数を増やす制度があるみたい。
週休3日、30日の有給消化、1ヶ月のバカンス。
このような労働条件で働く人は珍しくないみたい。
収入は減ってしまうだろうけど余暇は増える。ゆとりは増える。
遊びに多くのお金は使えないけど(オランダ人は倹約家が多い)、自然と人と触れ合う時間、
芸術に没頭する時間、のんびりほっこりする時間が増える。

他にもオランダは実にユニークだ。

自転車専用道が完備されている自転車大国。環境保護志向。
ハードドラッグとソフトドラッグを区別することで、大麻を非犯罪化している。
(近年の研究によると実は大麻はアルコールやたばこより毒性は低いみたい。
日本で大麻取締法によって逮捕される人を気の毒に思う。)

これらは全て良い面だけで、歴史も文化も土地も違う国のことだから
日本に当てはめることはできない。
でも参考にした方がいい部分もあると思う。

ポラロイドフィルム生産終了の悲報。。。

ポラロイド社からの悲しいお知らせ。

http://www.polaroid.co.jp/support/important.html

ポラロイドフィルムの生産に終止符が打たれるらしい。

唯一無二のポラロイドカメラもデジタルカメラ一辺倒の時勢には勝てなかったのか。
ポラロイドカメラ2台所有している(最近ほとんど使ってないけど)私にとっては
これはかなり悲しい知らせとなりました。

理由はデジタルカメラ普及によるフィルム需要の低下。
この理由がまた悲しさに拍車をかける。
これはひとつの時代の終焉と言っても過言ではないでしょう。

まあ、ポラロイドカメラにはコアなファンが多くいると思うので、
完全に消えてしまうことはないのかもしれないですが、
ポラロイドカメラは今以上にマニアック路線を突き進み、
ライトユーザにとってはどんどん遠い存在になってしまうことは間違いないでしょう。
フィルムも高価格になるだろうし。

ポラロイドカメラは良いカメラなんですけどね。
空色の表現は素晴らしく心の琴線に触れるし、
スクエアフォーマットだし、
撮影後フィルムが吐き出されるメカニカルな動作&音は愛らしいし、
フィルムに景色が浮かび上がる過程を息を呑みながら見るのは楽しいし。

デジカメの利便性とコストパフォーマンスにはかなわないよね。
ポラロイド社もデジタルカメラに方向転換するらしいし。

最近はスクエアフォーマットで撮影可能なデジカメも少し登場しているので、
デジカメを久しぶりに購入してみようかな?
前に買ったのが6年くらい前なんだよね。
ゲーム機で言うと、プレステ1からプレステ3くらいの隔たりがあるかな。

ああ。悲しい。

February 17, 2008

スキマ産業vol.9~トクマルシューゴ来京~ @木屋町UrBANGUILD

前々から楽しみにしていた音楽イベント。
素晴らしかった。美味しい音楽を堪能した。

感想を記録したいのだが、感じたことをうまく言語化できない。
正確に表現しようと求めるほど言葉が虚無に吸い込まれていく。

演奏者に感想を口頭で伝えるとき、
いつも「すごく良かった」としか言えない。
この表現はちょっと違うなあと違和感がすぐフィードバックされる。
しかし、適切な表現が浮かばず、思考システムが空転する。
その結果、口がパクパク、つまり挙動不審に陥る。

今日もそうだった。
「すごく良かった」、この表現は、間違いではない。
しかし、精度の悪い表現だ。

だから、演奏を聴いて生じた気持ちを文章でスケッチすることを試みる。

○ASTROLOVE

幾重にも重なった電気ギターのサウンド、
静と動のコントラストが気持ち良かった。


○長谷川健一

歌とギター。
シンプルだけど独自性のある確固とした世界。
魅力的な声。
特に低音の声が好き。優しい振動。脳に心地よく響く。

○キツネの嫁入り

アコースティックギターとアコーディオンと打楽器。
彼らの生演奏による音世界の中にいるのはとても居心地がいい。
体内に違和感なく浸透する感じ。

耳から入力された音楽が脳内を駆け巡った後、
脳内の有害物質を分解してくれる。
カタルシスというのはこういう感覚なのかもしれない。

「忘却」という曲。好きだ。
自分の記憶は自分が所有者なのに、自分の思うようにすることはできない。
そんなことを考えた。
村上春樹の「回転木馬のデッドヒート」の好きなフレーズ
「人は何かを消し去ることはできない。消え去るのを待つしかない。」を思い出した。


○トクマルシューゴ

彼の新作がよく行くレコード屋さんで話題になっていた。
大好きなバンドTeenageFanclubのNormanも推薦していた。

myspaceで事前試聴したけど、緻密で千変万化する音世界、
キャッチーだけど今まで聴いたポップソングとは何かが違う。
非常に好きな音楽だった。
今回は単独ライブだけど、あの音世界を一人で再現できるのかなと
少し不安に思っていたが杞憂だった。

演奏が開始され、彼の私世界が顕現しライブハウスを包み込む。
非常に濃密で吸引力の強い世界。もう圧倒された。
ギター一本と声だけで作られたものとは思えない。
演奏も上手だし。

一つの曲に複数の異なる世界が詰め込まれていて、
それらはうまく結合され楽曲トータルでは調和している。
そして、そのつなぎ目、展開部を聴くのがとても気持ち良かった。
「うわー」という感じ。

3rdAlbumを買ったけど「la la radio」はすごい。
手をひかれるままに色々な光景を体験させてくれる。
「clocca」もいいな。

February 11, 2008

東京旅行

週末の4連休を利用して東京に行ってきた。

数年前、東京で約2ヶ月間、生活したことがある。
渋谷や新宿などに顕著な東京の都会的な部分はおぞましい代物だと感じた。
東京には魔物が住んでいる。
だから、東京という場所は好きではない。

この旅の目的は友達と再会し、旧交を温めること。
東京には高専、大学、会社の大好きな友達が大勢住んでいるからだ。

社会人になって、月日の経過が早くなった。
気づいたら多くの時間が過ぎている。

巨視的に見ると、僕の社会人の生活は代わり映えしない。
同じ時間に同じ手段で同じ場所に行き、同じ場所で昼飯を食い、
同じ場所で休憩し、同じ手段で部屋に戻る。
仕事の内容は日ごとに変化するが、生活のフォーマットは同じだ。
加えて、取りうる感情の状態も同じだ。
これが時間経過の変化の理由の一つだと思う。

そんなわけで、同じカラーの見分けがつかない記憶が
脳内にある記憶を溜めるコップに大量に注がれていく。
その結果、過去の記憶は底の方に沈殿していく。
それらは、沈殿し不鮮明になっていく。

記憶自体が消えてしまったわけではない。
記憶はコップの底部に存在し続けている。

しかし、それは何だか嫌だったので、東京に行くことにした。
友達と会って、今昔トークにより記憶のコップの中をかき混ぜたかった。

そして、その目論見は成功した。

年を重ねるにしたがって、再会の時間は減少していくけれども
できる限り機会を設けたいなと感じた。