February 24, 2008

飛騨高山旅行

会社の同期たちと通算4回目となる旅行に行ってきました。
目的地は飛騨高山。
通例どおりバスを一台貸し切って、移動時間も楽しい旅行に。

高山は食べ物、お酒、歴史、町並み、など観光の諸要素の全てが
ハイクオリティで観光には最適な場所でした。
特筆すべきは日本酒と食べ物(飛騨牛など)が非常に美味であること。
様々な名産を食べましたが何を食べても何を飲んでも全て美味しかった。

したがって旅行中は終始暴飲暴食してました。
日本酒の種類が多く、そのどれもがうまいので、
朝から飲んで昼も飲んで夜も飲んでました。
欲望の要求に忠実に応えて生を実感してました。
食べ物がうまいことは生きる喜びです。

食べ物を通してその土地を知る。
旅行の記憶はその地での食事が核になっている。
きっとそれが僕の旅行感です。今回それに気づきました。

1日目
・高山市街散策
酒蔵、食べ歩き、
・お寺で座禅:
 煩悩にまみれたギトギトの心で座禅に臨む。
・飛騨の里で「さるぼぼ」の手作り体験
・ホテルで高山の名産で構成された素晴らしい料理フルコース
・温泉でほっこり

2日目
・高山名物の朝一
低音殺菌のホットミルク、もち、漬物、地元の人と触れ合う。
・高山市街散策again
酒蔵巡り(計6つくらい)、食べ歩き、高山ラーメンで欲にまみれる。
日本酒がうまい。
・帰りのバスで酒盛り延長戦

February 22, 2008

経済活動と人生幸福と環境保全の相反性

ポラロイドカメラの終焉。
ポラロイド社のデジタル機器業界への参入。

理性ではわかっちゃいるが、情緒では納得できない。
デジカメなんて掃いて捨てる程あるというのに、
ポラロイドという魅力的で素敵な個性が失われてしまう現実。

しかし、資本主義的にはポラロイドカメラ事業は間違った選択なんだろう。

ビジネスと人間の心の折り合いをつけるのって難しいことがある。
会社の目的は利潤追求、でも人生の目的(と地球環境保全)は必ずしも一致しない。
お金志向の人もいるけど、少なくとも僕は絶対に違う。

効率化とコスト削減の結果、少しの時間や少しのお金を節約してなんになるんだろう?
少し節約したから、少し豊かになったからって、その分心が貧しくなることもきっとある。

会社の業績は増収増益が求められる。なぜ横ばいではいけないのだ?赤字でないのに?
経済成長はなぜ現状維持ではいけないのだろう?
これだけの密度のコンビニは必要なのか?
Windowsの性能はXPで十分。Vistaを使ってみたけど魅力を感じない。
会社人になってから経済活動へのクエスチョンマークが増殖する。

僕は納得はできなくても、これらはみんなが暮らしていく上でこれらは必要なことなんだ。
多様な価値観の中で僕らは生きているのだから。


最近、オランダのライフスタイルを特集している旅雑誌「Spectater」を読んだ。
素晴らしい内容だった。違った考え方を注入できた。

オランダではひとりの働く時間と賃金を減らして雇用人数を増やす制度があるみたい。
週休3日、30日の有給消化、1ヶ月のバカンス。
このような労働条件で働く人は珍しくないみたい。
収入は減ってしまうだろうけど余暇は増える。ゆとりは増える。
遊びに多くのお金は使えないけど(オランダ人は倹約家が多い)、自然と人と触れ合う時間、
芸術に没頭する時間、のんびりほっこりする時間が増える。

他にもオランダは実にユニークだ。

自転車専用道が完備されている自転車大国。環境保護志向。
ハードドラッグとソフトドラッグを区別することで、大麻を非犯罪化している。
(近年の研究によると実は大麻はアルコールやたばこより毒性は低いみたい。
日本で大麻取締法によって逮捕される人を気の毒に思う。)

これらは全て良い面だけで、歴史も文化も土地も違う国のことだから
日本に当てはめることはできない。
でも参考にした方がいい部分もあると思う。

ポラロイドフィルム生産終了の悲報。。。

ポラロイド社からの悲しいお知らせ。

http://www.polaroid.co.jp/support/important.html

ポラロイドフィルムの生産に終止符が打たれるらしい。

唯一無二のポラロイドカメラもデジタルカメラ一辺倒の時勢には勝てなかったのか。
ポラロイドカメラ2台所有している(最近ほとんど使ってないけど)私にとっては
これはかなり悲しい知らせとなりました。

理由はデジタルカメラ普及によるフィルム需要の低下。
この理由がまた悲しさに拍車をかける。
これはひとつの時代の終焉と言っても過言ではないでしょう。

まあ、ポラロイドカメラにはコアなファンが多くいると思うので、
完全に消えてしまうことはないのかもしれないですが、
ポラロイドカメラは今以上にマニアック路線を突き進み、
ライトユーザにとってはどんどん遠い存在になってしまうことは間違いないでしょう。
フィルムも高価格になるだろうし。

ポラロイドカメラは良いカメラなんですけどね。
空色の表現は素晴らしく心の琴線に触れるし、
スクエアフォーマットだし、
撮影後フィルムが吐き出されるメカニカルな動作&音は愛らしいし、
フィルムに景色が浮かび上がる過程を息を呑みながら見るのは楽しいし。

デジカメの利便性とコストパフォーマンスにはかなわないよね。
ポラロイド社もデジタルカメラに方向転換するらしいし。

最近はスクエアフォーマットで撮影可能なデジカメも少し登場しているので、
デジカメを久しぶりに購入してみようかな?
前に買ったのが6年くらい前なんだよね。
ゲーム機で言うと、プレステ1からプレステ3くらいの隔たりがあるかな。

ああ。悲しい。

February 17, 2008

スキマ産業vol.9~トクマルシューゴ来京~ @木屋町UrBANGUILD

前々から楽しみにしていた音楽イベント。
素晴らしかった。美味しい音楽を堪能した。

感想を記録したいのだが、感じたことをうまく言語化できない。
正確に表現しようと求めるほど言葉が虚無に吸い込まれていく。

演奏者に感想を口頭で伝えるとき、
いつも「すごく良かった」としか言えない。
この表現はちょっと違うなあと違和感がすぐフィードバックされる。
しかし、適切な表現が浮かばず、思考システムが空転する。
その結果、口がパクパク、つまり挙動不審に陥る。

今日もそうだった。
「すごく良かった」、この表現は、間違いではない。
しかし、精度の悪い表現だ。

だから、演奏を聴いて生じた気持ちを文章でスケッチすることを試みる。

○ASTROLOVE

幾重にも重なった電気ギターのサウンド、
静と動のコントラストが気持ち良かった。


○長谷川健一

歌とギター。
シンプルだけど独自性のある確固とした世界。
魅力的な声。
特に低音の声が好き。優しい振動。脳に心地よく響く。

○キツネの嫁入り

アコースティックギターとアコーディオンと打楽器。
彼らの生演奏による音世界の中にいるのはとても居心地がいい。
体内に違和感なく浸透する感じ。

耳から入力された音楽が脳内を駆け巡った後、
脳内の有害物質を分解してくれる。
カタルシスというのはこういう感覚なのかもしれない。

「忘却」という曲。好きだ。
自分の記憶は自分が所有者なのに、自分の思うようにすることはできない。
そんなことを考えた。
村上春樹の「回転木馬のデッドヒート」の好きなフレーズ
「人は何かを消し去ることはできない。消え去るのを待つしかない。」を思い出した。


○トクマルシューゴ

彼の新作がよく行くレコード屋さんで話題になっていた。
大好きなバンドTeenageFanclubのNormanも推薦していた。

myspaceで事前試聴したけど、緻密で千変万化する音世界、
キャッチーだけど今まで聴いたポップソングとは何かが違う。
非常に好きな音楽だった。
今回は単独ライブだけど、あの音世界を一人で再現できるのかなと
少し不安に思っていたが杞憂だった。

演奏が開始され、彼の私世界が顕現しライブハウスを包み込む。
非常に濃密で吸引力の強い世界。もう圧倒された。
ギター一本と声だけで作られたものとは思えない。
演奏も上手だし。

一つの曲に複数の異なる世界が詰め込まれていて、
それらはうまく結合され楽曲トータルでは調和している。
そして、そのつなぎ目、展開部を聴くのがとても気持ち良かった。
「うわー」という感じ。

3rdAlbumを買ったけど「la la radio」はすごい。
手をひかれるままに色々な光景を体験させてくれる。
「clocca」もいいな。

February 11, 2008

東京旅行

週末の4連休を利用して東京に行ってきた。

数年前、東京で約2ヶ月間、生活したことがある。
渋谷や新宿などに顕著な東京の都会的な部分はおぞましい代物だと感じた。
東京には魔物が住んでいる。
だから、東京という場所は好きではない。

この旅の目的は友達と再会し、旧交を温めること。
東京には高専、大学、会社の大好きな友達が大勢住んでいるからだ。

社会人になって、月日の経過が早くなった。
気づいたら多くの時間が過ぎている。

巨視的に見ると、僕の社会人の生活は代わり映えしない。
同じ時間に同じ手段で同じ場所に行き、同じ場所で昼飯を食い、
同じ場所で休憩し、同じ手段で部屋に戻る。
仕事の内容は日ごとに変化するが、生活のフォーマットは同じだ。
加えて、取りうる感情の状態も同じだ。
これが時間経過の変化の理由の一つだと思う。

そんなわけで、同じカラーの見分けがつかない記憶が
脳内にある記憶を溜めるコップに大量に注がれていく。
その結果、過去の記憶は底の方に沈殿していく。
それらは、沈殿し不鮮明になっていく。

記憶自体が消えてしまったわけではない。
記憶はコップの底部に存在し続けている。

しかし、それは何だか嫌だったので、東京に行くことにした。
友達と会って、今昔トークにより記憶のコップの中をかき混ぜたかった。

そして、その目論見は成功した。

年を重ねるにしたがって、再会の時間は減少していくけれども
できる限り機会を設けたいなと感じた。