August 27, 2008

スキマ産業で歌の凄みを知る

生演奏と言うのは基本ノーカットだから。

録音の過程で失われる成分を
余すところなく浴びることができる。

音楽が生まれる瞬間をこの目玉が見る。
音楽に乗って流れる思念は耳だけでなく全ての感覚に流れ込んでくる。

ライブでしか体験できないことはあると思う。
それは何だと聴かれたら、口をつぐんでしまうけれど。



今回も素晴らしい音楽が揃っていた。
独自性のある作り手のこだわりを感じさせる音。

その中でもタテタカコさんの演奏は僕にとって格別だった。
余りの衝撃にそのほとんどの記憶は薄れてしまっているけれども。
その音楽に圧倒された感覚は鮮明に残っている。

ピアノと歌による単独演奏。
この客観的事実を並べて見ると、演奏される音楽はシンプルで
「さわやか」とか「はかない」とか弱くて静かなイメージを喚起されることが多いのではないだろうか?
たとえ激しい弾き語りだとしても、たった一人では限度というものがあると思うのではないだろうか?
しかし、タテタカコさんの音楽はそんな生易しい代物ではなかった。

その「歌とピアノだけ」の音楽の立ち上がりは穏やかに感じる。
しかし演奏者の感情の高揚とともに、音楽は勢力を増していく。どこまでも。
そのピークは常軌を逸しており、
相当量のエネルギーを放出しているように感じられた。

それは勢力の強い暴風の只中にいるような感覚だった。
実際に物理的な力が加えられたわけではないのに、抗い難い力の存在を感じる。

荒れ狂う感情の暴風が脳みそを通過していく。
演奏中は体内の全細胞が演奏者に釘付けになり、
他のことを考える余力は完全にゼロになる。

演奏後は全ての感情は吹き飛ばされている。
嵐が去った後のような静寂感が心に残っている。
「言葉を失う」という慣用句を真の実感を持って理解した。

弾き語りスタイルだとかバンド形態だとか、音楽のフォーマットだけでは
表現の根源となるエネルギーの大きさを推し量ることはできないのだと思った。

そして、それはCD音源だけでは知ることができなかったことでもあった。

音をどれだけ歪ませて、高出力のアンプを駆使して楽器をかき鳴らしても、
力強い汚い言葉を吐いても、ダイブしても、楽器を破壊しても、聴衆の頭で楽器でかちわっても
あれだけの迫力を聴衆に感じさせるのは簡単なことではないのではと思う。


演奏後しばらくは失語症のような症状に陥り、うまく思考ができなくなってしまった。
自分の心のどこかが組み変えられていく感覚があった。

そのすさまじい音楽によって喜びを感じることは多々あった。
しかし、正直に書くと心のある部分は傷つけられてしまったように思う。
善なる感情だけを感じたわけではなかったからだ。
でも、表現とは本来そういうものだと思う。
表現者の真の想いを正直に手加減なく誰かにぶつけるのだから、
それによって相手が傷つくこともあると思う。

とてもとても素晴らしい演奏だった。
こんなことが起こるとは予想していなかった。
また、生演奏を聴く機会に恵まれることを心から願っている。